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My memories・・・思い出の一枚・・・≪黒木文太≫

チームメンバーそれぞれにもっとも思い出に残る1枚の写真について語ってもらう企画です。
第7回目の今回は、現在「東京マラソン」に向けて順調にトレーニングを行っている黒木選手に語ってもらいました。


1994年3月6日  於:JR博多駅付近 (前列最右が黒木選手)

僕の実家は安川電機の所在地から目と鼻の先ほどの距離にあり、また父親も安川電機の関連会社で勤めていたこともあって、昔から「安川」の名前に親しみを持って育ちました。

実家のすぐ近くを通過する「九州実業団毎日駅伝」等が行われるときはもちろん、沿道で応援もしました。今になって思えば、まさか自分が安川電機に入社するとは…(不思議な縁を感じます)

その当時を振り返ると、小さかった頃は遊びと習い事で忙しい毎日でした。ソフトボール、水泳、空手、バイオリン、陸上等とにかく何でもやってました。嫌々やってたのが正直ですが、今となっては色々なことにチャレンジできて良かったと思っていますし、感謝しています。その中でもっとも思い出に残っている出来事として、ソフトボールクラブでの名物行事がありました。

小学3年生当時、僕は「熊西シャークス」というクラブに所属していました。そこで年1回の名物行事として長く受け継がれている「鍛錬遠足」がありました。このときは北九州市八幡西区~JR博多駅までの約57kmという距離を完歩しました。それは当時の僕にとって全く未知の世界でした。57kmは今でも完走した事がない未知の領域ですね。。笑
※この前年も北九州市八幡西区~北九州市門司区和布刈(約27km)も完歩していました

出発は正午。旧国道3号を威勢良くスタートし13回の小休憩をとりながら目的地に向かいました。途中歩きながら寝るという神業で電柱に正面衝突し、唇を切るという軽い事故?ケガもありながら、何とか無事に翌午前4時頃博多駅に到着しました。睡魔の力って凄いんですよホントに!!(^^♪

早朝、小学校の周りを走ったり「火の用心」を呼びかける夜回りも行って準備はしていましたが、想像以上のキツさでした。この写真を見るだけで、今でも鮮明に当時のことを思い出します。また、このときのことは地元紙の「西日本新聞」にも載りました。

そして思い出の続きで、この名物行事はじめ大変お世話になった「熊西シャークス」の当時の監督が、昨年の「朝日駅伝」で中継所まで応援に来てくれました。僕が任された最終区は地元を走るコースだったこともあり、どこかで風の噂でも聞いて駆けつけて来てくれたのだと思います。お会いするのはかれこれ15、6年ぶりで、僕自身もですが監督もすごく感動されてました。

この年の開催で終了する「朝日駅伝」で、チーム初優勝がかかった緊迫した中継所での再会でしたのでほとんど話もできませんでしたが、お会いできたことで元気をもらって元気に走る姿を見てもらいたいと強く想ってその時は走り出しました。

今の自分があるのはたくさんの方に出逢い支えられ、成長できたからだと思います。これからもその気持ちを忘れず、お世話になった方々へ恩返しできるような走りがしたいと思っています。そんな僕にとっての思い出の1枚です。

黒木 文太