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My memories ・・・思い出の1枚・・・《中本健太郎》

チームメンバーそれぞれにもっとも思い出に残る1枚の写真について語ってもらう企画です。
今回で当企画は最終回です。
最後を飾るのは、別府大分毎日マラソンでの激走が記憶に新しい、中本選手に語ってもらいました!
 
 
「大の野球好き!」これだけは自信をもって公言できます。私は小学3年生から、少年野球チームに入って白球を追う日々を過ごしました。テレビでプロ野球や高校野球の中継を見ては憧れました。
今回のコラムの題材を何にするかあれこれ悩みましたが、野球少年だった私を陸上競技へ導いてくれた原点とも言える写真を選びました。

1999年9月25日~27日 山口県高校新人陸上
於:山口県維新百年記念公園陸上競技場

写真左手のゼッケン13番の青いユニフォームを着て走っているのが私です(我ながら今と変わりないような気もしますが)

高校2年生で出場した山口県高校新人陸上5000mに出場した時の写真です。この時の順位やタイムが良かったから、思い出の1枚として選んだわけではありません。平凡な成績であり、平凡な選手。それが私の高校生活3年間を表現するにもっとも相応しいと思います。
 
 
野球少年だった私は、高校の進学にあたって野球を続けたいという想いがあり、進路先をどうするか決めかね悩んでいました。そんな折、山口県立西市高校で一緒に陸上をやらないか?という誘いを受けました。

野球に明け暮れた中学校の部活動で、冬場に運動各部から選手が選抜されて、そのメンバーの1人として駅伝を走った程度で、全くのシロウトといえる私としては、陸上での進学など考える余地も無くまた、野球に対する想いが勝り一旦はお断りしました。しかし、陸上部顧問の富家先生が何度も、学校や実家に来ていただいて熱心に誘っていただいたこともあり「高校3年間だけ陸上を頑張ってみよう」、そんな軽い気持ちで進学を決断しました。そして、入学し陸上部の練習に参加するようになると、そんな甘い考えを一新する毎日でした。
 
 
練習の大部分が持久走や、インターバルトレーニングといった走力の強化よりも、とにかく基礎的な身体作りを行う補強トレーニング(筋トレ)が中心で、その量が半端ではありませんでした。
早朝練習で1時間、午後の本練習も鉄棒での懸垂逆上がりなど、多種多様な補強トレーニングを毎日やっていました。故障したときは、この補強トレーニングの量が2倍3倍と多くなることもあって、本当に辛かったです。
また、普段から礼節を重んじる先生のご指導は、挨拶にはじまり生活面での規律に対し特に厳しかったです。試合の結果が悪かったことよりも、挨拶が出来ないことのほうがはるかに、怒られていたような・・・。

この何気ない写真を見るたびに、高校生活3年間の思い出が甦ります。この3年間は私の陸上競技生活の基礎であり、人生の宝物です。
 
 
今年で私も31歳になります。チームの仲間やライバルも年々、陸上から離れていき寂しさを感じています。しかし、平凡な選手だった私が、多くの方々に出会い、支えられて競技生活を続けられることに日々感謝し、これからもたくさんの人々に感動を与えられるような走りをしていきたいと思います。そんな私の大切な思い出の1枚です。

中本 健太郎