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【選手コラム】谷川 貴俊「陸上の原点とこれまで」



選手たちに自身について語ってもらうコラムです。
今年度の第3回目は、入社1年目の谷川 貴俊選手に語ってもらいました。



私は中学から2つ上の兄の影響で陸上競技を始めました。

中学は福岡県の城南中学校という陸上の強い学校に通っていました。
同じチームの先輩は全国大会に出場するような強い選手ばかりで、近くにお手本、目標がいる恵まれた環境で毎日の練習を行っていました。

2年生になり春先はなかなか記録も伸びず苦しいスタートでしたが、夏に開催された中学総合体育大会で初めて2年1500mで九州大会に出場し2位になり少し自信をもちました。
夏季練習では全国大会に出場した先輩に何とかくらいついて必死に練習しました。
その甲斐もあって秋の新人戦で全国大会参加標準記録である9分02秒を突破する9分00秒を出すことができました。この新人戦は全国大会には直接結びつかない大会でしたが、やっと全国への道が見えてきた瞬間でした。
その後、同じ時期に開催されたジュニアオリンピック最終選考会で優勝し、自身初の全国大会となる「ジュニアオリンピック(都道府県の各種目1位の選手が集う国内の全国大会)」への出場権を獲得しました。
駅伝シーズンではチームで市大会、県大会、九州大会で優勝。初出場となった全国大会では6位入賞と、顧問の先生、3年生の先輩方のおかげで最高の駅伝シーズンをおくることができました。
私個人としては先輩方が激戦区間を担ってくださったおかげで、比較的楽な区間を走らせてもらったこともあり、市大会から九州大会まで区間賞、全国大会では区間4位と良い結果を残すことができました。特に九州大会ではアンカーとしてゴールテープを切らせてもらい、この上ない経験をさせていただきました。

3年生では安定したタイムは出ているもののなかなか納得のいくレースができませんでした。しかしそんな中でも、全国大会のかかった通信陸上という大会で1500m、3000m共にベストタイムを出すことができ、全国大会への切符を手にすることができました。そこから調子が上がり、市大会では2種目大会記録、県大会では3000mで大会記録を塗りかえる走りができました。
九州大会では1500m2位、3000m。そして全国大会では1500mは予選落ちとなりましたが3000mで2位となり、悔しさはありましたが「全国大会で走る」という目標がかなってようやく成長を実感した瞬間でした。
この写真はそのときの表彰式のときのものです。

この中学時代に体験した2年半は、私にとって陸上の原点になった時代だったと思います。

ちなみにその後は初めての故障を経験し、なかなかうまくいかずジュニアオリンピックでは予選敗退、駅伝シーズンもほとんど走れずチームにとても迷惑をかけ中学時代を終えました。
 
 
高校は愛知県の強豪豊川高校に進学しました。
1年目からチームは高校総体全国駅伝優勝。個人でも全国制覇するなど強い先輩が数多くいました。
3年目私はチームのキャプテンを任され、何とか自分をそしてチームを変えようと必死に練習しました。
秋に5000m自己ベストを更新し、やっとスタートラインに立った気持ちになりました。
そして高校総体の駅伝シーズン、大事な県大会でチームの1区を任せてもらい区間賞の走りができました。しかし結果的にチームは総合3位、人生の中でこれほどまでに悔しかったことはないです。本当に悔しく1週間放心状態だったことを覚えています。しかしその年は全国駅伝の65回記念大会ということで地区代表枠があり、なんとか東海大会で優勝し地区代表枠を勝ち取りました。
本番ではなかなかうまくいかず総合15位、個人としては3区11位と、なんともいえない結果でしたがよい経験ができました。
 
 
大学は箱根駅伝常連校の大東文化大学へ進学しました。
大学三大駅伝(出雲,全日本,箱根)は、出雲駅伝は出られませんでしたが、全日本駅伝には2回(いずれも8区)、箱根駅伝には3回(いずれも9区)出走しました。
全日本は2年次区間11位、3年次区間14位。箱根は2年次区間6位、3年次区間12位、4年次区間13位という結果でした。
大学時代は長い距離をメインに取り組み、全日本駅伝、箱根駅伝では最長区間を任せてもらいました。結果的には全日本駅伝、箱根駅伝どの大会も1度もシード権を獲得できませんでしたが、日本トップレベルの大会に出られたことはとてもよい経験となりました。

▼第95回箱根駅伝9区(2019.1.3)

私はスピードがないなかで、なんとか長い距離で今まで勝負してきたので、これからもこのスタイルは変えず長い距離からアプローチし、駅伝をメインに、そしてマラソンに挑戦し結果を求めていきます。

安川電機陸上部
谷川 貴俊