History

1974

無名の社員選手だけのスタート。

この年、安川電機陸上部創立、初代部長に陸上部の生みの親である、柴田幸司、初代監督に小野実男が就任。設立当初は有力な高校や大学から選手を獲得することも厳しく、社内より選手を募るという苦難の船出でした。しかし駅伝初チャレンジとなった「第22回・日田〜中津駅伝競走大会」では24チーム中11位と健闘しました。

創部当時の練習風景
▲創部当時の練習風景
1975 ~78

創部5年目にして、全国7位の快挙。

当時の九州陸上長距離界は、旭化成、新日鐵八幡、そして九州電工(現・九電工)の三強時代。これらの強豪に追いつくことを目標に、井上文男(前監督)をはじめ有望な選手を獲得。そして迎えた1976年度、創部3年目にして念願の「全日本実業団駅伝」初出場を果たしました。 1区では井上がトップに1秒差の2位でタスキをつなぐ力走をみせ、応援団は大熱狂。初めての挑戦を総合19位という結果で終えました。78年は3回目のチャレンジにして7位入賞を果たしました。

創部3年目当時のメンバー。練習中の一コマ
▲創部3年目当時のメンバー。 練習中の一コマ
▲76年度「九州実業団毎日駅伝」で懸命に追走する井上
力走する松本
▲力走する松本
1979 ~80

不況下にもかかわらず、温かい支援に奮起。

不況下にあっても全社を挙げての温かい支援のなか、若手選手も順調に力を伸ばし「全日本実業団駅伝」にも安定して出場を果たすことで、旭化成、九州電工に次ぐ九州第三のチームとしての基盤を築きました。

82年度「福岡国際マラソン」にてイカンガー選手とともに。左から森田、原口、イカンガー、井上
▲82年度「福岡国際マラソン」にてイカンガー選手とともに。 左から森田、原口、イカンガー、井上
80年代を支えた選手たち
▲80年代を支えた選手たち
1985 ~92

井上監督新体制、苦難のスタート。

85年度、井上文男が監督として就任。しかし新体制は苦難の船出となりました。この年の「九州実業団毎日駅伝」でまさかの8位。それまで9年連続出場を果たしていた「全日本実業団駅伝」の出場権を逃してしまいました。その後86〜88年度までの間、「全日本実業団駅伝」に出場はするも20位台に定着することとなりました。 この間、現監督の山頭直樹が入部。彼をはじめとした若手が順調な成長をみせ始めた89年度の「九州実業団毎日駅伝」で井上監督は若手を中心にしたメンバーで賭に出ますが、結果は8位。またしても全日本への道を絶たれてしまいました。 しかしトンネルの出口はすぐそこにありました。安川電機創立75周年を迎えた90年度「九州実業団毎日駅伝」で初の2位入賞。この勢いをそのままに、元日に開催された「全日本実業団駅伝」では3位入賞という快挙を成し遂げました。

92年度「九州実業団毎日駅伝」を3位でゴールする原口
▲92年度「九州実業団毎日駅伝」を3位でゴールする原口
92年度「朝日駅伝」の1区で力走をみせる山頭
▲92年度「朝日駅伝」の1区で力走をみせる山頭
91年度「全日本実業団駅伝」3位でゴールテープを切る、アンカー緒方
▲91年度「全日本実業団駅伝」3位でゴールテープを切る、アンカー緒方
1993 ~97

新勢力が次々と台頭する九州陸上長距離界。

93〜95年度にかけて、「全日本実業団駅伝」8位、7位、6位と安定して入賞を果たしてきましたが、このころ九州の陸上長距離界は様変わりしようとしていました。 95年度に強豪ダイエーが本拠地を福岡に移転し大がかりなチーム強化に乗り出し、三菱重工長崎、コマツ電子金属など新興チームが次々と台頭。当社チームも原口、依田、山頭の活躍により安定した成績は残していたものの、常勝旭化成を追うには、次世代の柱となる選手の出現が望まれていました。 若手の大胆な登用など、積極的な強化策も結果を残すことはできず、96年度の「全日本実業団駅伝」13位、97年度18位、98年度19位と低迷を続けました。

94年度「全日本実業団駅伝」を7位でゴールする依田
▲94年度「全日本実業団駅伝」を7位でゴールする依田
1998 ~03

過去最悪の結果にリベンジを誓う。

98年度、陸上部発足より23年間、副部長・部長を歴任してきた興膳克彦に代わり、当時副部長であった鈴木勝詔が陸上部長に就任。チームの再建を一手に背負いました。 チームの顔ぶれも様変わりし、若手選手にシフトしていくなか、苦しみながらも何とか「全日本実業団駅伝」の出場を果たすものの、本大会では20位前後の順位から浮上することができませんでした。 そんななか01年度と02年度、2年連続で「九州実業団毎日駅伝」準優勝と復活の兆しがみられたかに思えましたが、03年度の「全日本実業団駅伝」では31位と過去最悪の結果に終わってしまいました。

03年度「全日本実業団駅伝」で、大応援団を前にする選手たち
▲03年度「全日本実業団駅伝」で、大応援団を前にする選手たち
2004 ~07

黄金期の再来を信じ、ひたむきに走る。

創部30年目の節目となる04年度は『リベンジ』をスローガンにチーム一丸となって、汚名を返上するべく駅伝に取り組みました。そして迎えた「九州実業団毎日駅伝」では、最終区まで旭化成と大接戦を演じ、念願の初優勝までわずか17秒差の2位。「全日本実業団駅伝」では11位と復活への確かな手応えを得ました。 05年度は黄金期の復活に向けたさらなる飛躍を誓い、陸上部長が宇佐見昇へと引き継がれ、当時コマツ電子金属でコーチをしていたOB山頭直樹をヘッドコーチとして招聘する新体制となりました。 そして06年度、創部32年目にしてついに念願の「九州実業団毎日駅伝」で優勝! 自らを信じ仲間を信じてタスキをつなぎ走りきった選手たち、みなぎる自信と誇りを手にしました。 この年の「全日本実業団駅伝」では7位入賞、翌07年には4位入賞を果たし、黄金期の再来は、予感から実感へと向かいつつありました。

06年度「九州実業団毎日駅伝」初優勝のゴールテープを切る立石
▲06年度「九州実業団毎日駅伝」初優勝のゴールテープを切る立石
▼07年度、千葉・福岡と2つのクロスカントリーレースで日本人トップの成績をおさめ、世界大会への切符を手にした飛松
07年度、千葉・福岡と2つのクロスカントリーレースで日本人トップの成績をおさめ、世界大会への切符を手にした飛松
2008

着実に力をつけてきた若手選手の活躍に期待。

2年連続で「全日本実業団駅伝」入賞を果たし駅伝での強さを発揮するなか、新たに就任した山頭監督のもとこれまで後手にまわっていたマラソン選手の育成・強化に着手。この年の「北海道マラソン」で中本が堂々の2位入賞を果たしました。 一方駅伝では、在籍していた外国人選手の退部により日本人選手のみの区間編成で挑み「九州実業団毎日駅伝」こそ、実力どおりのレース運びで優勝を競う内容でしたが「全日本実業団駅伝」ではチームの良さが全く発揮できず18位と惨敗しました。しかしながら随所では若手選手の確かな成長を感じられた年でもありました。

08年度「北海道マラソン」2位入賞を果たした中本
▲08年度「北海道マラソン」2位入賞を果たした中本
2009 ~10

YASKAWAから、マラソン日本代表が誕生。

更なる強化を図るため樋口善久が新たに陸上部長に就任。09年度の「全日本実業団駅伝」では過去ワースト2となる27位と低迷するなかでも、次世代を担う若手がしっかりと成長。リベンジとして絶好の機会となった翌10年度の「全日本実業団駅伝」では、4年ぶりの4位でフィニッシュしました。 また、2010年3月に開催された「世界陸上競技選手権大会(韓国/テグ)」の日本代表選手選考会となった「びわ湖毎日マラソン」では4位入賞を果たした中本が自身・チームともに初のサブテン となる2時間9分31秒をマークし「世界陸上競技選手権大会」のマラソン日本代表として選ばれました。

自身初のサブテンで世界陸上マラソン代表のキップを手にした中本
10年度ニューイヤー駅伝で創部史上初となるトップでタスキを繋いだ小畑
▲10年度ニューイヤー駅伝で創部史上初となるトップでタスキを繋いだ小畑
◀自身初のサブテンで世界陸上マラソン代表のキップを手にした中本
2011

YASKAWA新時代の幕開け。

この年陸上部長に就任した清水伸悟のもと若手の台頭が目立った。チーム1のスピードランナー北島が10000mチーム最高記録を18年ぶりに更新。また「世界陸上競技選手権大会(韓国/テグ)」の男子マラソン日本代表として選出された中本は、9月に行われたレースで持ち前の粘りを発揮。堂々10位の好成績を残しました。

2011年世界陸上(韓国/テグ)で10位となった中本
18年ぶりに10000mの安川電機陸上部歴代記録を更新した北島
▲18年ぶりに10000mの安川電機陸上部歴代記録を更新した北島
◀2011年世界陸上(韓国/テグ)で10位となった中本
2012 ~15

初五輪代表、そして広がる波及効果。

2012年度、安川電機陸上部創部38年にして初となるオリンピック代表選手が誕生しました。世界陸上(テグ)で健闘し、その後も安定した走りを続けてきた中本がロンドンオリンピック男子マラソン日本代表に選出。陸上部創部当初からの目標であり念願であったオリンピック日本代表選手を輩出したことは、安川電機史上での大きな一歩でありました。この年就任した陸上部長 生山武史率いる安川大応援団の熱い声援を受けて中本は堂々の6位入賞を果たしました。また「福岡国際マラソン」に出場した黒木が2時間10分08秒の好タイムで5位入賞を果たしました。 2013年度は、中本が2大会連続で出場を果たした世界陸上(モスクワ)男子マラソンでは5位入賞の快挙。また、一方で、チームの駅伝では故障者が続出し、ニューイヤー駅伝では、2012年度11位、2013年度28位、2014年度24位と低迷し苦しい状況が続きました。 2015年度は安川電機創立100周年という節目で、記念すべき1年となりました。ニューイヤー駅伝では不振からの脱却を誓い、チーム一丸となって戦い4年ぶりとなる8位入賞を果たしました。また、初マラソンとなった「延岡西日本マラソン」を優勝し、続く「シドニーマラソン(豪)」も優勝し、マラソン2戦2勝で北島がリオデジャネイロオリンピックマラソン選考会の「びわ湖毎日マラソン」に挑み、2時間09分16秒の堂々2位入賞で、リオデジャネイロオリンピック男子マラソン日本代表に選出されました。

ロンドン五輪男子マラソン代表に内定した中本
福岡国際マラソン5位入賞の黒木。記録は2時間10分08秒
【上左】ロンドン五輪男子マラソン代表に内定した中本【上右】別府大分毎日マラソンで2時間8分35秒の自己新記録【中左】福岡国際マラソン5位入賞の黒木。記録は2時間10分08秒【中右】14年度「延岡西日本マラソン」で初挑戦で初優勝を飾った北島【下左】2015年ニューイヤー駅伝で、16年連続出場の偉業を果たした小畑
別府大分毎日マラソンで2時間8分35秒の自己新記録
14年度「延岡西日本マラソン」で初挑戦で初優勝を飾った北島
2015年ニューイヤー駅伝で、16年連続出場の偉業を果たした小畑
2016

ロンドンからリオ、そして…。

前回のロンドンオリンピックでの中本に続き、北島がリオデジャネイロオリンピック男子マラソン日本代表に選出されたことは安川電機陸上部として2大会連続で代表選手を輩出するという快挙達成となりました。リオデジャネイロでは日本から駆けつけた従業員はじめ現地グループ会社スタッフが大応援団を結成し沿道から声援をおくりました。本番のレースでは調整過程で痛めた怪我の影響もありスタートから北島は苦しいレースとなりましたが、94位でフィニッシュしました。

また、ニューイヤー駅伝では27年連続で39回目の出場を果たしました。入社1、2年目の若手選手たちの活躍もあり12位の成績を残しました。

そして2017年2月5日に開催された「別府大分毎日マラソン」でマラソン14回目の挑戦にして初優勝を勝ち取った中本が、2011年テグ大会(韓国)2013年モスクワ大会(露)に続き3度目となる世界陸上男子マラソン日本代表に内定しました。

2016年「リオデジャネイロオリンピック」男子マラソンで必死にゴールを目指す北島
▲2016年「リオデジャネイロオリンピック」男子マラソンで必死にゴールを目指す北島
▼2017年2月「別府大分毎日マラソン」で念願の初優勝を遂げた中本
2017年2月「別府大分毎日マラソン」で念願の初優勝を遂げた中本
2017

新たに起動 目指すその先に。

この年新たに中山裕二が陸上部長に就任。また、安川電機陸上部では初めてとなる短距離を専門種目とする、大瀨戸が入部し更なる活躍が期待されます。

そして、自身3度目となる男子マラソン日本代表として出場した「世界陸上競技選手権大会(ロンドン)」で、中本が真骨頂とも言える粘りの走りで奮闘。 惜しくも入賞を逃しましたが、2時間12分41秒の10位でフィニッシュ。初めて挑んだ五輪開催地ロンドンで再び力走しました。

駅伝では入部2年目にして安川電機陸上部歴代記録を次々に更新し、成長著しい高橋尚弥がチームのエースとして台頭。 ニューイヤー駅伝では最長区間の4区で好走し、入賞圏争いから脱落しつつあったチーム順位を大幅に押し上げる活躍を見せました。 最終7区では入賞を争って6チームが大混戦となり、2年ぶりの入賞目前でしたが、あと一歩の9位でフィニッシュしました。

▼2017世界陸上(ロンドン)で力走する中本
▼2018ニューイヤー駅伝で最長区間の4区で好走した高橋