将来の夢はメジャーリーガー
合田 椋
どうも。入社3年目の合田です。
10月になり、ようやく秋の訪れを感じる涼しさになってきました。
ランナーあるあるですが、夏から秋に変わるこのタイミングが好きな選手は多いんです。(合田調べ)
夏を超えて走りやすい時期になり、ますます練習に精が出る今日この頃でございます。
さて、今回は私の幼少期の思い出について少しだけお話しさせていただきます。
「将来の夢はメジャーリーガーです」
小学4年時の2分の1成人式にて、声高らかに宣言したのは当時10歳のかわいい?合田少年です。(生意気でした)
陸上選手じゃないの!?今の私を知ってくれている方は、そう不思議に感じたかもしれません。
そうなんです。もともとは生粋の野球少年なんです。
夏休み中に放映されていたアニメ「MAJOR」の茂野五郎に憧れて、気づいた時にはバットとグローブを握っていました。
小学生時は五郎のようになりたくて、近所の公園での素振りとランニングが毎日の日課でした。
当時私の周りには、自分と同じ熱量で努力をしている友達はいませんでした。それもあり、当時から自信だけが取り柄の合田少年は自分がメジャーリーガーになる事を信じて疑いませんでした。
ところが、小学校も高学年になり少しだけ賢くなった合田少年は、幸か不幸か現実に気づき始めてしまいます。
身体が小さく華奢だった私は、同じチームの大柄な同級生と比較して打球が全く遠くに飛びません。守備や肩の強さには自信があったのですが、バッティングでの明らかな才能の違いに肩を落としてしまいました。
(6年時には一応キャプテンを務めていました、自分だけ小さい、、、)
そんな時に、出会ったのが陸上競技です。
たまたまそのタイミングで、友達に誘われて近所のランニングチームの練習に参加しました。早いペースでの練習にもついていくことができ、チームのコーチに褒められたことを覚えています。
野球での勝ち筋が見えなかった私は、その時点で中学では陸上で活躍しようと決めていました。
そんなこんなで、現在に至るまで10年以上陸上競技を続けています。その結果、箱根駅伝やニューイヤー駅伝に出場することができ、紆余曲折はあったものの現時点では充実した競技生活を送れています。
中学生ながらよく正しい選択をしたなと、まさしく英断だと、当時の自分を褒めてあげたい思いの反面、あの時陸上ではなく野球を選択していたらどうなっていたんだろうと別の道での自分の成功像も考えてしまいます。
連日様々なメディアで報道される大谷翔平選手の第〇号ホームラン・〇〇盗塁。この大谷翔平の名前が合田椋に変わっていた可能性もなくはありません。
大谷翔平選手にはなれなくても、大好きな元阪神タイガースの鳥谷選手のように華麗な守備で見る人を魅了していたかもしれません。
一生では使いきれないほどの年俸を貰って、プール付きの大豪邸に住み、一軒家と同じ値段のする高級車を乗り回していたかもしれません。
なんて、意味のない妄想を繰り返しています。
ただ、走ることは好きですしこの道を選んだことには全く後悔していません。
何不自由なく競技に取り組めているこの環境に感謝して、今後も安川電機陸上部の発展に大きく貢献したいと考えています。
恵まれた環境で競技に取り組めている以上、結果を出すことは使命だと考えています。
1か月後には毎日駅伝、3か月後にはニューイヤー駅伝が控えています。
怪我と体調不良には気を付けて、応援していただいている皆様に喜んでいただける結果を残せるよう頑張りますので、今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
来世では、メジャーリーガーになれますように。。。