僕の駅伝と感謝

笠原 大輔

お疲れ様です。

3年目の笠原大輔です。

今回は駅伝シーズンということで語っていきたいと思います。

 

― タスキがつないだ出会いと感謝 ―

陸上を始めたのは、小学5年生のときだった。
理由は単純で、「走るのが好きだったから」。
その頃の自分は、まさかここまで長く陸上を続け、駅伝という競技に人生を重ねることになるとは、想像もしていなかった。

駅伝は、ただ速く走る競技ではない。
仲間の想いを背負い、人の縁をつなぎ、自分自身と向き合わされる競技だ。
振り返ると、僕の駅伝人生は「人との出会い」によって形作られてきたと思う。

駅伝と本格的に出会ったのは中学生のときだった。
中学1年生の時、初めて駅伝メンバーに選ばれた。
しかし、練習中に脛を大きく切る事故に遭い、救急車で運ばれ12針を縫う大怪我。
半年間、歩くことすらできなかった。

「選ばれていたのに、走れない」

仲間がタスキをつなぐ姿を、外から見ることしかできなかったあの時間は、
悔しさと情けなさでいっぱいだった。

中学2年生の夏までは武雄北中学校で活動し、その後、東原庠舎東部校へ。
ここで、僕の人生を大きく変える出会いが待っていた。

 

― 小川朋子先生との出会い ―

東原庠舎東部校では、多久RCという陸上クラブチームに所属して活動した。
そこで指導してくださったのが、小川朋子先生だった。

この出会いが、僕の人生を大きく変えたと、今でも心から思っている。

当時の僕は、3000mに11分以上かかる選手だった。
決して才能があったわけでも、特別速かったわけでもない。

それでも小川先生は、僕を見捨てなかった。
走りの基礎、体の使い方、練習への向き合い方。
一つひとつ、根気強く、丁寧に指導してくださった。

その結果、わずか1年で3000m8分30秒を切る選手に成長することができた。

でも、小川先生から教わったのは、走ることだけじゃない。
挨拶、人への感謝、努力を続ける姿勢。
人間としてどう生きるかを、陸上を通して教えてもらった。

あの時間がなければ、今の自分は絶対にない。
今でも、本当に感謝している。

 

― 悔しさが自信に変わった瞬間 ―

中学2年生の駅伝では、佐賀県大会でチーム2位(1時間07分10秒)。
個人では3区3kmを9分56秒で区間4位。

中学3年生では2区3kmを9分41秒、チームは7位(1時間04分44秒)。
しかし、最後の駅伝は地区大会敗退。
主力メンバーの怪我もあり、県大会、九州大会へ進むことはできなかった。

それでも諦めず練習を続け、
2020年 都道府県対抗駅伝で佐賀県代表として走ることができた。

チームは4位。
僕は2区を任され、8分28秒の区間2位。
順位を8つ押し上げ、初めて「チームに貢献できた」と実感できた。

この駅伝でタスキを渡した3区の選手は、
現在、同じ安川電機で活動している古賀潔紫さん

当時は想像もしていなかったが、
同じ高卒、同じ鳥栖工業高校、そして今は同じチーム。

僕にとって一番身近で、心から尊敬している先輩であり、大好きな存在だ。

駅伝がつないでくれた縁の不思議さを、強く感じた。

 

その後、鳥栖工業高校へ進学。
1年生は補欠で、駅伝を走ることはできなかった。

2年生では佐賀県大会優勝。
2区3kmを8分26秒で区間1位。
全国大会ではチーム10位、個人は区間9位。

3年生ではキャプテンを務めたが、チームをまとめる難しさに苦戦した。

「良いチームを作れた」と胸を張って言えなかったのは、今での心残りだ。

それでも佐賀県大会は優勝。

3区を向かい風の中で区間1位後ろと約1分差をつけられたのは、少しだけ自分を認められた瞬間だった。
全国大会では17位。
ラストの高校駅伝、ただ全力で走った。

 

高校卒業後、安川電機陸上部へ。
2025年、EXPO駅伝(大阪・関西万博記念大会)に出場。

チームは11位。
僕は6区4.7km、区間10位。

学生と実業団が同じ舞台で走る駅伝。

「やっと同じレースで戦えた」

その喜びと同時に、自分の弱さを強く感じた。

「もっと強くならなくては、、、」

 

2025年はアキレス腱の怪我に苦しんだ。
それでも復帰し、5000mで自己ベストを更新。でも、まだまだ足りない。

だから、満足はしていない。
もっと強くなりたい。
もっとチームに貢献したい。

 

― 支えてくれたすべての人へ ―

中学生の頃、
武雄北中学校、東原庠舎東部校、多久RCで支えてくれた先生方、仲間たち。

高校時代、
鳥栖工業高校で共に戦ったチームメイト、指導者、応援してくれた方々。

そして今、
安川電機陸上部で支えてくださるスタッフ、仲間、応援してくださるすべての方々。

本当にありがとうございます。
皆さんの支えがなければ、ここまで走り続けることはできませんでした。

 

― 小川朋子先生へ ―

最後に、どうしても伝えたい人がいます。

小川朋子先生。

先生と出会わなければ、
今の僕はここにいません。

走れなかった僕を、
何度も何度も信じて、導いてくれました。

今はなかなか直接会うことができませんが、
このブログを通して、心から伝えたいです。

本当にありがとうございました。

先生に教えてもらったことを胸に、
僕はこれからも走り続けます。

どうか、これからも見守っていてください。
そして、応援していただけたら嬉しいです。

 

笠原 大輔 DAISUKE KASAHARA

2004年07月28日生まれ

佐賀県多久市出身

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