急がば回れ

漆畑 瑠人

こんにちは。3年目(春から4年目)の漆畑です。

 

ニューイヤー駅伝が終わってあっという間に1ヵ月が経ちました。

今回のブログは先日行われたニューイヤー駅伝、そして2025年シーズンの振り返りについて、自身の悔しい気持ちを風化させないためにも形として残したく、志願して執筆いたしました。

 

普段のブログと比較すると長くなりますが、日記のような感覚でこんなことがあったんだ~くらいの気持ちで見ていただけると嬉しいです。

 

 

まずはニューイヤー駅伝の応援ありがとうございました。

結果はご存じかと思いますが、チーム12位、個人1区30位と共に目標に届かず、とても悔しい結果となりました。

 

 

チームの状態も上がってきていて、目標の6~8位の入賞はいける!と手応えがあった中で、1区の自分が早々に出遅れてしまい、後続の選手たちに負担をかけてしまいました。

後続の選手やサポートに回ってくれた選手、そしてテレビや現地で応援して頂いた皆さまには大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

 

ここ数年、安川電機は1区で出遅れており、上手く流れに乗れない状況が続いていました。自分自身、昨年の6月にハムストリングスを故障して以降、調子がなかなか上がらず、焦りからかオーバートレーニング症候群の症状に陥り、ベッドに入っても寝れない時は3~4時間覚醒したまま寝れず、そのストレスでちょっとしたことでもイライラしたり、軽いジョグでさえも心拍数が異常に高くなり、思うように走れない苦しい夏秋冬シーズンを過ごしていました。

ですがニューイヤー駅伝の直前合宿ではなんとか調子を上げることができ、自信を持って群馬入りしました。

区間発表で1区を告げられ、周囲の期待も背負って今年こそは自分がいい流れを作ってやる!!自分ならいける!!そう強く意気込んで元日に向けて準備をしていました。

 

 

大会2日前の午前中に競技場で1000mの調整走を実施し、練習終了後、昼食を食べに出掛けたところ、食事中に体が熱くなり、鼻水が止まらなくなり明らかに体に異変を感じました。その時は店内の暖房で暑くなったのかなと思い、鼻水は持病の副鼻腔炎で年中出るため、寒暖差ででたのかなと気にしないようにしていました。

熱測った方が良いかなと思いましたが、チームは故障者が多く、控えの選手も万全な状態ではなかったため、自分が外れてはいけない!と気持ちで負けないように、あえて熱は測りませんでした。

 

 

夜になっても良くなるどころかどんどん体調が悪化していき、喉も痛く声がかすれ、鼻水が詰まって鼻声、鼻詰まりの影響で頭痛が酷く、明らかにこれは熱だな、、と察しました。

夜中も鼻水が詰まって呼吸がしづらく、途中で何度も目が覚めては鼻をかんで、「なんでニューイヤー駅伝直前にかぎって、、」「体調管理は気にかけてやってきたのに、、」自分を責める気持ちもありましたが、それは終わってからにしよう、今はできることに徹しようと切り替えました。

 

そして駅伝当日、気持ちで負けないようにレースの事だけ考えて臨みました。

1区の区間賞は、大学時代の同期が区間記録に近いタイムで獲得し、一方自分は35秒差の30位と不本意な結果となりました。

 

 

1区を走り終わりバスで群馬県庁へ。

群馬県庁からホテルまで歩いて帰り、部屋につくと一気に体の力が抜けました。

部屋のテレビで応援し、ゴール後の会社応援団への報告会や閉会式も参加することができませんでした。

↑レース直後、解熱剤のおかげであまり熱が上がらなかったのは良かったです。

 

「体調管理も実力のうち」

走力だけでなく、本物のトップ選手はコンディションを合わせる自己管理も一流だと改めて感じ、自分の未熟さを痛感しました。

 

 

悔しい、情けない、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、この先も大丈夫かなと不安になっていましたが、2週間後には福岡県代表で都道府県対抗駅伝が控えており、3区で出走予定でした。

欠場も考えていましたが、「ピンチはチャンス」という言葉があるように、苦しい時こそ得られるものがあると信じて、出場を決めました。

 

 

熱の影響で鈍ってしまった身体を2週間という短い期間で作り直し、なんとか6割、良くて7割かなというところまではもっていきましたが、3区の選手は強い選手が集まっていたこともあり、結果は区間21位と不甲斐ない結果となってしまいました。

福岡県チームのスタッフや中高生、同じ社会人選手、そして福岡県民の皆さまの期待に応える走りができなかったのは悔しかったですが、各世代の選手たちと共に襷を繋いだ都道府県駅伝は、駅伝の楽しさを再認識できたいい大会でした。

 

 

都道府県駅伝が終わり、2025年シーズンのラストレースにしている全日本実業団ハーフが3週間後に控えており、ニューイヤー駅伝以降はこの大会に照準を合わせていました。

昨年はこの大会で10位、自己ベスト&安川記録を更新し、今年もそのタイムと順位を超えることを目標に調整してきましたが、都道府県駅伝が終わって3日後に、後脛骨筋を故障し、全日本実業団ハーフを欠場することになりました。

 

 

陸上を始めて今年で11年目となりますが、これまで故障は2回か3回くらいで、2日3日で治る程度でしたが、2025年シーズンは1年に4回(ハムストリングス、膝、仙腸関節、後脛骨筋)故障したり、ニューイヤー駅伝直前で体調崩したりと、厄年か?と疑うほど上手くいきませんでした。(厄のせいではありません、単に実力不足です。。)

 

 

しかし、この走れない期間こそが、更に飛躍するためのきっかけを掴むチャンスではないかと思っています。

 

 

これまでなかなか取り組めていなかったフィジカル面に重点を置いてトレーニングすることで、復帰したときに良いフィジカルで、良い感覚で走れるんじゃないかと自分の可能性に期待できています。

 

 

苦しんだ2025年のシーズンを、足踏みして良かったと思えるように、この期間を大事に過ごして今後の飛躍のきっかけにしていけたらと思います。

 

 

長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

今後とも応援よろしくお願いします!!

 

漆畑 瑠人 RYUTO URUSHIBATA

2000年08月10日生まれ

鹿児島県薩摩川内市出身

メンバー紹介ページへ

一覧へ戻る